こんにちは。フェルナンデス由布子です。
人と自分を比較したことありますか?
おそらくほとんどの人があるのでは。
人と自分を比べることは全く悪いことではありません。
なぜなら人は比べることで自分を認識する、認知するから。全く誰もいないところでは自分と他者との違いはわからないでしょう。
私は身長が154cmしかないんですが、なぜ「しか」と書くのか、、それは周りの人と比べるとひときわ小さいからです。
比べるのは当たり前なんです。
ただ、そこで「違い」を認識するのではなく「優劣」を基準にしてしまうと苦しみます。
自分を卑下してしまって自己嫌悪に陥ったり、相手の持っている物が羨ましくて妬んでしまったりする・・・それは苦しいんです。
今はSNSが普及して、実体は定かではないながらも、他人の芝生は青く見えるし、自分が持っていないものをなんでも持ってるかのように見えます。
自分がたどり着きたいところに、のほほんと到着したように見えてしまうこともあります。
綺麗なところしか見せませんから、皆。
頭では「それがすべてではない、本当でもない」とわかっているにもかかわらず、無意識に比べてしまい一人で落ち込む、、SNS病に取り憑かれた人も大きくはそこに起因するでしょう。
私だって「ああ、あの人歌めっちゃ上手いなー!とても叶わんなあ・・・」としょぼくれること、結構ありますよ。
でも、じゃあ比べるのをやめたら私たちは楽になる?
それは無理な話なんです。何度も言いますが、私たちは相対的に自分を認識するものですから。
比べるのをやめることはできません。
ではどうやってコミュニティの中で無意識に人と比較をしあいながらも、ネガティブな感情にならず楽に生きていけるのか?
方法は3つあります。
一つには、まずは全て受け入れること。人と比べて落ち込むとか妬んでしまうのは個人差があります。
人一倍嫉妬深かったり、周りのことが気になる人もいれば、比較してもそれを感情に持ち込まないで済む人もいるのです。
自分が前者ならまあ、そう受け止めましょう。しかたないもの。そういうじぶんを認めること。
妬む自分、羨む自分、どうしょうもなく小さい自分を「こんなんもあり」と認めてあげる。そんな小さなちっぽけな自分ってかわいいじゃないですか。そう笑とばしてあげましょうよ。
そして二つ目は比べたら「優劣」ではなく「違い」と捉えること。
上述したようにそもそも人との比較にさほど感情を入れ込まずに、「違い」と認識して生きられている人も結構います。
私は残念ながら圧倒的に人と比べがちな性質なので、そういう人が羨ましいこともありますよ。でもこの辺りの感情の選択は「トレーニング」で変えられるものです。
「誰かと比べる」→「優劣を決める」→「劣の時に落ち込む、クヨクヨする、相手を妬む」のではなくて、
「誰かと比べる」→「違いを探る」→「ここが違うのね」という事実だけを見る、ということ。そこに余計な解釈を挟まないことです。
もし何か良し悪しを定めたいなら、両方見極めましょう。良いところと悪いところは裏表ですからね。
私はそうやって思考や感情を選びとり直してきました。必ずできます。
三つ目はその比較をエネルギーに変えることです。比較して妬んだらそれを目標へ進むパワーに変えましょう。
人は自分とかけ離れた人には妬む気持ちを持てません。
私は素晴らしい歌を歌う人と自分を比較する時がたまにあります。でも決してビヨンセと自分を比べることもそこで落ち込むこともありません。あまりに自分がいるステージとは異なるから。そうなると妬む感情は生まれないものなのですよね。
今比較して妬んでる人がいるということは、その人がやってることは頑張れば手が届くということです。
その人が何をしているか、どんな挑戦をしてきてどんな経験を重ねて今そこにいるのか、よく見てください。
きっと自分にできないことではない。それをエネルギー源にしてぜひ行動をしていきましょう。同時にリスペクトの念も生まれてくるはず。そうすると妬みの気持ちもまた変わります。
私は人と比較しやすい性質です。あるスピリチュアルカウンセラーに見ていただいた時は「嫉妬」というのが大きなテーマの一つだと言われたこともあります。
自分がする方だけではなく、嫉妬されることによって人生の節目があるということも。
そんな自分の一部を認めて、大事に抱えてうまく私の思い通りの人生のために使っていきたいと思います。
同じよう想いを抱えている人がいたら教えてくださいね。