今日は自己紹介的な振り返り記事です。
恥ずかしくなるほど臆病だった頃の話・・・詳しくはプロフィールに載せている通りなのですが、今日は音楽家の為の心と体の痛み解消Labの真希子さんとFACEBOOKライブ対談して、やはり喘息が一つの私のターニングポイントだったなあ、としみじみ感じてしまい、振り返っています。
現在は、歌手として、ボイストレーナーとして人前に立って活動をしています。
評価が怖い、比較されるのが怖い時期も長かったし、今も先走る自分や誰かと比べてしまう部分がゼロではないけれど、そんな自分でさえ受け止めて自覚し俯瞰できる余裕や、「まあ、いっか」と笑い飛ばせる図太さもでてきました。
「全ては流れ」だからとこだわらずに次に進もうとすることもできています。
(まあ、とはいえまだまだですがね)
でも、一昔前は全くと言っていいほど違いました。
見かけは今と全く変わらず、むしろ昔はもっとずっとイケイケだったのですが、実際の中身は弱くてもろくて、人の目線や評価ばかり気にしていたし、誰かの一言に勝手に振り回されて生きていました。
30を過ぎて突然やってきた成人喘息
そんなヘタレだった私を追い詰めるかのように、ある時突然襲った喘息。
あまりに自分とかけ離れていたものなので最初は全く想像し得なかったです、アレルギーもなかったしね。
喘息になった瞬間を覚えている
私、最初の喘息発作が起きた瞬間を覚えてるんですよ。
それがあるからこそ、この喘息が、症状はどうであれ、メンタルに起因してると自覚があったのです。
ゴスペル挙式やイベント・コーラスなど歌手としてかなり忙しかった時期。
ありがたいことでしたが、なんだかいつも緊張が抜けない、不安にかられている状態でした。そんな当時、お付き合いが始まりそうだった男性とメールのやり取りしていた、その時。
年上でとっても大人だったその人は私の何気ないメールでの一言をちょっぴりたしなめたんです。いや、いま思うと大したことではないんですけどね。(というかなんだったかも忘れてますねw)
でも当時の私は
「いやだ、どう思われちゃったんだろう!?」
「嫌われちゃったのかな・・・」
「芯のない女だと思われたかな・・><」
といった、不安や邪念がばーーっと出てきました。
その時お得意だった「人にどう見られるか」だけを考えた瞬間です。
その時です、突然苦しくなってきたのは。
最初は動悸がでてきたような、そんな感じ。息苦しさもあったけれど動悸の方が強くてどんどん自分の身体が自分じゃないようになってきました。心と身体が離れてしまったようなそんな苦しさでした。
動悸から始まったのもまさか喘息とは思わなかった理由のひとつ。
もしかしたら症状が変わったのかもしれないですね。
いずれにせよ、ギリギリで均衡を保っていた自律神経がバランスを崩したのでしょう。
それまで一杯一杯でやっていた自分の心が、ちょっとしたきっかけで パラパラと崩れたんですね。
原因不明・薬が効かない
その動悸と息苦しさは時間が経っても収まらず、一つ目の病院では不整脈、と診断され薬を処方されても治らず、それからいくつ病院に行ったかは、もう数え切れないほどでした。
私は喘息の原因の一つであるアレルギーが全く無かった上に、ステロイドの吸入剤を服用しても喘鳴(ぜぇぜぇという音)が収まらずでした。(今思うと治療の根気が足りなかったのもあったと思います。)
気管支拡張剤を服用した時は、むしろ動悸ががひどくなり倒れたこともありました。
病院をはしごしても、「喘息気味」とか「気のせいでしょう」とか中途半端な診断ばかりで、正式に、喘息、と診断されたのは、その後3年位経ってからのこと。それでもやっぱり原因はわからない、ストレスからでは、ということでした。
その3年間に悪化してしまったのもあり、東京都の大気汚染助成制度にも認定してもらいました。(喘息の薬って高いんですよ。。。今は基本の治療薬のステロイド吸入剤にジェネリックもできたので少し楽ですね。)
この時期は本当にきつかった。
実際に大きな発作ではなく、小さな喘鳴が24時間続いて、他の人は近づかないと気が付かないレベル。
でも自分はほんとうに苦しい。(これを「発作」と呼ぶのだと後で知った。)
喘息を理由に、いや、言い訳に?約束に行けなかったりなども増えてしまいました。
そして途中もう諦めモードにも入り、歌もお仕事とソロ活動をストップしました。
喘息を言い訳にしたけれど、きっと、逃げたかったのでしょう。
歌の世界で人の評価を気にし、反応を気にすることに疲れていたし、そんなことを気にしながら一人で仕事をしていくことが不安でたまりませんでしたから。
むしろ逃げる口実がうまくできたってことです。
喘息になることを自ら選び取ったとまで言えてしまうほど、好都合でした。
喘息が治ったのは薬ではなかった
だからでしょうか。
歌をやめても症状は良くなるどころかひどくなる一方でした。
6年程経過して、自分を治してくれる病院を探し回るのに疲れ果てたのと同時に、
もうこれはもう「治してもらう」のではなく「自分で治すのだ!」と確信し、心と身体のことを学び始めました。
そこで心理学やメンタルヘルス、潜在意識などを勉強して、自分のことを深く考えに考えて省みてみると、今までどれほど他人の目を気にして、自分の心に蓋をして生きていたかに気がついてほんっとうに愕然としました。
そこからさらに自分の心と向き合い、必死でメンタルを客観視し思考の改革を行いました。
本当に生まれ変わったくらいに私、変わったのです。
同時に自らボイトレを再スタートさせたんです。
なんとなく歌がうまくなるボイトレじゃなく、本気で身体と声を整えるボイトレ。これが心身の調整をはかってくれたんですね。
ボイトレでやる身体の軸を整え自分の内側に集中し、現状を俯瞰していくというアクション。これは心地よく生きる術そのものだったから。
ここからもう一度自分の心に正直にることができて、音楽活動を再開できるようになりました。やっぱり歌いたい!!って心底思ったんです。
喘息を通して得られたもの
この喘息がきっかけで、自分の心を見つめ直しボイトレで心身を整えることができると知りました。そしてもう一度歌の世界に新しい気持ちで戻ることができました。(この頃出会った熱くてオープンマインドなブラジル人夫の存在もとてつもなく大きい。)
実際にこの喘息による気づきがある前と後の私の歌は全く違います。
「前より説得力を増した」「心に届く」と多くの人に言われるようになりました。その歌を聴いて「Yukoから習いたい!」とボイトレを切望されレッスンをスタートし、今に至ります。
歌とは、マインドが全面に現れてしまう上に、楽器である身体を駆使して全身全霊でエネルギーを注ぐもの。
ここに真面目に取り組むことは身体と心の奥行きや広がりを促すとさえ思います。
歌が上達するだけではない、大きなプレゼントがあったのでした。喘息になったからこそ、ここに気が付き今のように歌えるようになったのです。
人は気づかないうちに心の中に本心をしまい込んでいることがあります。長いこと放っておくとそれは身体の痛みや苦しみに現れてきたりする。
そこで医療的なケアが必要なのはもちろんなのですが、
同時になぜそうなったのか、そうしたかったのか自分の目的を考えてみると面白い気づきがあるはずです。
もし今どこかで苦しんでる人がいるなら、それは心も声も歌も生まれ変わる、大きなチャンスかもしれません。