「普通はさ」を捨てると楽になる

こんにちは。フェルナンデスユウコです。

先日、カフェで隣になった子連れグループの会話からついつい離れられなくなってしまいました。

なぜならやたらと「普通はさああー」って出てくるのです。

「普通はこうだよね」
「みんなこうじゃない?」
「当たり前だよねー!」
「そうだよね」
「そうそうそう!」

こんなやり取りが何度も繰り返されていたのですね。それで勝手にイライラしているので気の毒になってしまいました。

最近は性のあり方にしろ生き方にしろ「多様性」が謳われているし、「違いを認める」という空気感が以前より漂っているように思います。

でも、本当の意味での「違うことを認める」というのはまだまだ私たちの生活に浸透しきっていないのかもしれません。

でも実は、日常的な小さなことにこそ、人との違いは溢れています。この「普通はさ」をスルーするともう少し楽になるはずなのにね。

普通とは?

辞書を引くと下記のようになっています。

普通

ふ‐つう【普通】
【一】[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたのであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。「今回は普通以上の出来だ」「普通の勤め人」「朝は六時起きるのが普通だ」「目つき普通でない


【二】[副]
 たいてい。通常一般に。「普通七月には梅雨上がる
 (「に」を伴って俗に、とても。「普通においしい」
[補説] 【二】2は、「普通におもしろかった」のように、称賛するほどではないが期待上の結果だったという意味合いで、肯定的表現組み合わせ2000年代から用いられるようになった

今回のようなケースは「一」と「二」の1が絡まっているパターンかな。

人は比較をして自分を認識する生き物ですから、まずは自分と他人を比べて何か違うのか違わないのかを見ます。そしてそれが自分と違う場合、どれほどマジョリティなのか、自分の方がマイノリティなのか無意識に判断しています。幼い頃からね。

でもどちらが良いでも悪いでもなく、違いがあるだけです。大多数派が存在すれば少数派もある。

自分がどちらに属していても別のグループの存在を認めていた方がずっと楽ちんです。相手のグループのあり方を理解出来なくていい。そんな必要も別にありません。「そういう人もいるんだ」と理解するだけでいいんです。

なぜならそれが自分が穏やかに楽に生きられる秘訣の一つだからです。

世界はこんなに違う

世界を見渡せばずっとわかりやすいし自ずと寛大になります。ところ変われば常識は変わるのは皆なんとなくわかってますからね。

ジェスチャーの意味ひとつとっても違う。家族との過ごし方も友達との付き合い方、カップルのあり方なんて本当に違います。

もちろんその国の中でも多様性があり、同じ国の人だからって同じようなタイプってことは全くありません。

我が夫の母国ブラジルは人種もさまざまだし国土も広大なので、住むエリアが変わって人種変われば全く違う国民性という話も聞きます。

夫はスペインにルーツを持ち、生まれも育ちも都会のサンパウロ。それでも東京生まれの私との違いに驚いたことは数知れず、、、ですが、その話好きにはやっぱり驚きますね。電話が大好き。

仲良しの友達とは週何回か1時間近く話してますものね、二人とも50くらいですが高校生の男女かってくらいw
コロナ禍であまり直接会えなくなったからむしろ増えたようにも思います。

昨日はテレビでヤマザキマリさんがイタリアのお母さんたるもの、、の話をされてました。母たるものはアイロンがきちんとかけられないといけない存在らしいです。パンツにも靴下にも綺麗にアイロンがけするとか。。(そういえばうちの夫もアイロン好き。ラテンの血なのか?)

私は家事の中で最もアイロンが嫌いなのでイタリア人と付き合うのは無理っぽかったですw。

世界を見れば「文化が違うのね、面白いね」となれるわけだから、隣の人との違いをスルーできないはずがないよね。

自分の常識は他人の非常識

自分の常識は他人の非常識。逆も然りです。

自分が想像してる通り、思っている通りに相手も動いてくれるだろうなんて思ったら大間違いです。

人間関係においてはそもそもからして「自分の思い通りに人は動かない、全く違う」と思って動いていた方がずっと心が楽にいられます。「普通はさ」なんてことはまずありません。

もちろんね、世間一般的な「大多数」は存在するし無視できません。

コロナ禍のワクチン接種なんて顕著な例じゃないかな。日本では1回目のワクチンを摂取し終えた人は80%近いのでかなり大多数といえますよね。

でも自分の意思で打たない人は少なからずいて、彼らに対して「普通は打つでしょ」「打たないなんてありえない」ってそんな乱暴なこと言えますか?私は言えないな。(言ってる人もいるけれどね)

打った人の中でも周囲の状況なり自分の生活スタイルなり、あれやこれやと試行錯誤して判断した結果接種した、という人も多いはず。

全てにおいて同じことが言えます。普通なんてない。違って当たり前。

でも、相手が近い存在であればあるほど、なかなかそう思えなくなり関係がうまくいかなかったり疲れたり衝突が起きたりするんですよね。

相手は違う星の人

どうしてもイライラしてしまうなら、まずは相手を全く違う国、いや異なる星の生物だと思うように癖づけてください。

国際結婚はこの「違い」という観点だけで見れば(他に様々大変な点はありますが。特に相手の国に相手の家族と住んでいる場合などね)、違っていて当たり前なので落とし込むのは比較的早いです。

だからこそ「違う星の生物」と時々思うようにしています。パートナーに限らず友人や同僚、どんな関係にでもいえることです。

「頭ではわかるけどさ」と思うかもしれません。でも思考回路は癖付で変わります

イラッとするたびに「あ、この人違う星の人」と反射的にインプットしていく癖をつけていくと、許容範囲が広がります。そしてイラッとしなくなる、ずっと楽になるんです。

この「違って当たり前と思う」ことは、人間関係が楽になる一つのコツ。私はこう考えられるようになって夫ともすごくうまくいくようになったし、衝突が減っていきました。

地球の反対側のブラジル人と考えが違って当たり前のように、隣のパートナーも血を分けた家族も地元のママ友も気の合う仕事中も、当たり前のように違うんです。

自分の思い通りに動くこと、想像通りのチョイスをすることはまずない。私もいつも胸に留めて過ごしています。

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